2012年7月15日日曜日

Performance of Yukio Hatoyama?


消費税増税関連法案の衆院採決で造反した鳩山由紀夫元首相を党首とする新党構想が浮上している、と産経新聞が報じた。鳩山氏は自民党、新党さきがけを経て1996年に旧民主党を結成。98年に民政党、新党友愛などと合流し現民主党を立ち上げた。いわば「創業家」として君臨し続けた民主党を捨て、一体どこへ行くの?





1993年8月、首班指名前の細川護煕氏を日本新党の国会控え室で待っていると、見覚えのある若手議員が控え室から出てきてどこかへ走り去っていった。当時さきがけに所属していた鳩山氏である。細川氏を中心とした連立政権を発足させるにあたり連絡係のようなことを任されていた。そんな下積み経験も経て民主党を旗揚げし、何度か代表を務めた。
印象に残るシーンがある。2006年春、民主党本部で開かれた両院議員総会だ。当時、永田寿康衆院議員を中心に、ライブドアの堀江貴文社長が武部勤自民党幹事長の次男への送金を指示したとするメールの写しを見せて問題を取り上げ、追及した。後にメールは誤りだったと永田氏も認めたいわゆる「偽メール事件」だ。民主党は有権者の信頼を失うと同時に党の存亡も危ぶまれる窮地に陥っていた。
前原誠司代表(現政調会長)ら執行部と所属議員の話し合いの場で、どちらかといえば執行部の党運営に対する批判が多く飛び交った。幹事長だった鳩山氏はそれでもマイクを握り、「民主党は大丈夫だ。まだやれる」と自らを鼓舞するように繰り返し訴えた。沈滞ムードのなかでひとり、政権交代を目指そうと呼びかけていた。
2009年5月に代表に返り咲き、同年8月の総選挙で悲願の政権交代を果たした。だが、脱・官僚を掲げたにもかかわらず日本郵政の新社長に斎藤次郎元大蔵次官、人事院総裁に江利川毅前厚生労働次官を充てた。能力本位の適材適所であれば次官OBの起用は問題はないと苦しまぎれの説明で切り抜けようとしていた。この頃から歯切れの悪い弁解めいた発言が目立つようになる。米軍の普天間基地移転問題などでもそうだった。
鳩山氏は現時点で否定しているようだが新党が結成されれば、小沢一郎代表率いる新党「国民の生活が第一」と連携する公算が大きい。それでも、偽メール問題の後、必死に事態を収拾しようとしていた当時の姿がなお鮮明に残る。一度政界引退を表明したのだから、そのようにするべきではなかったか。もう晩節を汚すようなことはしない方がいい。

はっきり言って、首相任期時ろくな功績も残さず、日本の政治を混乱させただけ。
小沢氏も鳩山氏も財源を無視して、人気取り(票集め)の主張しか無い。
こんな馬鹿げた主張は、K党やSM党と変わらない。

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